2017年9月3日日曜日

鎮静と忘却

注:この話は、2002年頃に書かれたフィクションです。現在の麻酔管理方針とは異なる部分もありますし、表現が適切でない部分がありましたらご了承下さい。
 
 手術に際して行われる麻酔は、「麻酔」とひとくくりにされがちである。しかし、その方法はひとつではない。
いろいろな分類法が存在するが、ここでは大きく、全身麻酔と局所麻酔(主に脊髄くも膜下麻酔)の二つに分けて考えてみたい。
どの方法をとるかは、手術の部位や内容・予定時間、合併症や全身状態、加えて患者の希望など様々な条件を加味し、麻酔科医が決定する。
前者の全身麻酔は、意識も記憶も、全身の痛みもない状態をつくり出すことを意味する。これは、医療従事者でなくとも、イメージしやすいであろう。
後者の局所麻酔では、簡単に言えば手術をする周辺部位のみを鎮痛する、と考えてほしい。話を分かりやすくするため、今回の話では局所麻酔=脊髄くも膜下麻酔に固定して説明する。
たとえば、子宮摘出術や虫垂切除術(いわゆるモーチョー)では、脊髄くも膜下麻酔で胸の乳頭の高さ付近より下を完全に鎮痛できれば、安全に手術を行えるといわれている。全身麻酔との大きな違いは、この状態では意識がある、ということだ。患者が、術者や看護師と雑談しながらの手術も可能である。
しかし現実には、局所麻酔で鎮痛したうえで、多少語弊があるが「軽く眠らせて(鎮静して)手術をする」方法を選択することができる。
 この「局所麻酔+鎮静」の方法と、先に述べた「全身麻酔」とは、似ているが別物である。この違いは、医者であっても、麻酔科医でなければ理解していない人のほうが多いくらいなので、簡単に説明しよう。
「全身麻酔」は、意識がなくなるうえに、頭のてっぺんから足の先まで、痛みを感じなくなる状態である。「局所麻酔+鎮静」は、部分的に痛みの感覚がなくなった上に、意識を落とす状態だ。つまり、眠っているのだが、局所麻酔の効いていない肩や顔に刺激を加えれば、痛みを感知して手が動いたりする。なお、「局所麻酔単独」では、手術を行う部位周囲は鎮痛されているが、意識はある。
 部分的にしか痛みを取らないような半端なことをするぐらいなら、総て全身麻酔にすればいいだろう、と思われるかもしれない。医師の中からでも、そういった意見は出る。
だが全身麻酔の状態を作ると、まず呼吸抑制が起きるため、気管挿管・人工呼吸など厳重な呼吸管理が必要になる。さらに血圧など循環動態に与える影響も大きい。局所麻酔で行う場合よりも、一般に使用薬剤の種類は増えるので、麻酔薬の臓器への影響も考慮しなければならない。簡単に言えば、局所麻酔よりも、体に与える負担が大きいのである。だから、局所麻酔で行える範囲の手術は、わざわざ全身麻酔にしないことが多い。
一般的には、「局所麻酔単独」<「局所麻酔+鎮静」<「全身麻酔」の順に、麻酔法として大掛かりになってゆく、と言える。大掛かりは前記のように、体への負担が大きいので、できるだけ避けたいのである。

ではどのようなときに、「局所麻酔をした上に、軽く眠らせる」という折衷案のような方法を用いるのか。これは、手術の大きさから見て全身麻酔をかけるまでもなく、局所麻酔で十分だが、意識はないほうが望ましい、という状況だ。
簡単に言えば、「患者の精神状態を安静に保ちたい場合」である。局所麻酔が十分に効き、痛みがなかったとしても、手術操作の不快感、恐怖感などからどうしても眠らせてほしい、と希望する患者がいる(歯科治療を想像していただきたい。十分に麻酔されていても、意識がある限り、歯を削られたり、抜かれたりする感触は、分かるものだ)。また、手術室の雰囲気自体や、手術中の術者の会話、医療器械の発する音が怖いから、という理由もある。患者の精神状態に何らかの問題があり、術中に手や首の安静を保ってもらえない場合も、適応となる。
 次に、「術中の環境を患者に知らせないほうがよい場合」である。
 例えば、最近は少ないが、未告知の患者の癌の手術において患者の意識がある場合は、そこにいる全員が気をつかわなければならないだろう。どんなに気をつけていても、口が滑るということはあるし、術者の会話が制限されるために手術に支障をきたすのもよくない。やはり眠ってもらうに限る。
 また、新しく導入された手術器械を初めて使用するような場合である。事前にどれだけ練習しても、当然「ある医師が、それを初めて患者に使う」状況は、必ず起こる。手術に慣れていても、道具に慣れていなければ、なかなか手術は進まない。医者と器械業者が「ここどうするの?」とか「あ、先生違います。反対に回してください!」などと話しながら、試行錯誤しながらやっている場面は、正直患者本人に見せたくない。おそらく患者も見たくないであろう。
 こういった場合は、あらかじめ患者に、鎮静の必要性を状況に合わせて、話しておく。しかしこうなると、「医療側の都合」といえなくもない。もちろん、このような理由で眠らせるというのは、避けられるのであれば避けたほうがよい。どんな薬剤にだって、副作用の可能性はある。簡単に意識を落とすというが、呼吸状態の悪化など、危険は存在する(これを軽視した場合、麻酔事故の原因になる)。
 
局所麻酔下に行われた手術の途中、ある都合で「軽く眠らせた」結果、ちょっとした事件がおきた一例を紹介しよう。
帝王切開は、場合によるが一般的には脊髄くも膜下麻酔・全身麻酔の両方で行うことができる。
 雪国医大病院では、とくに大きな理由がなければ脊髄くも膜下麻酔を選択することが多かった。
 このメリットは、
    母親が覚醒しているため、誕生の瞬間を共有できる。これは出産後の母児関係確立の観点からも、重要視されている。
    帝王切開の全身麻酔自体の技術が多少難しく(従ってトレーニングを積んだ麻酔科医によって行われる場合が多い)、危険性も高くなる。これを避けられる。

「カイザーです! 胎児心拍が下がっています。すぐに手術室に移動します。麻酔法はお任せします」
 カイザーとは、帝王切開のことである。
 短い産婦人科医からの内線電話から、胎児を救うには、今すぐにでも帝王切開を行う必要があることが伝わってくる。
 電話から十分後には、妊婦はもう手術台の上に載せられていた。
麻酔は脊髄くも膜下麻酔で行うこととなった。腰から針を刺し、くも膜下腔という脊髄周辺の部位に鎮痛薬をばらまくことで、手術周辺の部位の痛覚を遮断してしまう麻酔法である。
「じゃあ、横向きにしますよ。背中を消毒します…では、次に少しチクっとします」
麻酔を担当したのはまだ医者になって一年目の私だったが、麻酔はスムースにかかった。薬液を注入して三分後には足の先から乳頭の高さまで、しっかり鎮痛されていた。点滴とエフェドリンという昇圧剤の使用で、血圧もしっかり保たれている。
「じゃあ、すぐ手術始まりますからね。赤ちゃんが出るとき、おなかが押されたり引っ張られたりしますけど、そこだけはガマン、ですよ」
「あー、緊張してます。よろしくお願いします」
妊婦と会話している間に、お腹の消毒は終わり、清潔野が作られる。
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
術者の産婦人科医が、言い終わるよりも早く、メスを入れていた。
皮膚、脂肪層、筋肉、腹膜と、お腹をどんどん切り進めて行く。開始二分ほどの間に子宮が切り開かれ、赤ん坊の頭が顔を出す。
 しかし…羊水やら血液ではっきり見えないが、赤ん坊は正常に比べてかなり色が悪い。これでは赤ちゃんというより、青ちゃんである。助手が母親の上腹部を押し下げ、執刀医が青ちゃんを引っ張り出して、その全身がライトの下で照らされた。
「やっぱり! こんなに巻いているぞ」
臍帯(いわゆる臍の緒)が、三回半も赤ちゃんの首に巻きついていた。これが胎児仮死の原因であろう。
通常は娩出されるとすぐに泣き出すのだが、その子は呼吸さえもしていないように見えた。
 すぐに横で待機している小児科医グループに渡され、処置が行われる。
 娩出直後の赤ちゃんは、背中を叩いたりさすったりされると自分で呼吸を始めるものだが、その兆候もなさそうだ。すでに小児科医が、挿管(気管の中に管を入れ、人工呼吸すること)を試みていた。
 母親は、手術室のなかの緊迫した空気を感じ取ったようだ。
「どうして泣き声が聞こえないの?ねえ先生?」
 執刀医は無言で、胎盤を引っ張り出した。
 小児科医は蘇生に必死だ。
「・・・・・・」
私は固まってしまった。なにせ麻酔科医は患者の枕元に立っている。仰向けになっているお母さんの視界に入っている医者は、私一人であり、当然距離も最も近い。普段は「聞こえますか、元気に泣いていますね」などというシーンだが、このような場面は経験がなく、なんといっていいか分からない。「心配ないですよ」と言える状況でもない。
「ねえ、大丈夫なの? 赤ちゃん死んじゃったの?」
 母親は首を左右に強く振り、ついに泣き出してしまった。もはや不穏状態である。
麻酔科の上司である風魔先生がいつから見ていたのか、私の背中をつついた。
「こんなのダメじゃん。赤ちゃん挿管されてるじゃん。お母さん心配するから寝かせなよ」
 と言い、点滴ラインからミダゾラムという鎮静薬を入れ、さっさと手術室から出て行ってしまった。
 これがまさに先に述べた、「術中の環境を患者に知らせないほうが(医療従事者側の精神状態にも)よいと判断し、眠らせた」状況である。
 鎮静薬は著効し、騒ぎ始めていた母親は表情が和らぎ、おとなしくなった。風魔先生の絶妙なさじ加減である。母親は軽く鎮静されているが、グーグー眠るほどではない、という最適の状態になった。手術室内には、術野の血液や羊水を吸引する、残り少ないジュースをストローで吸っているような音だけが響き続けた。
 人の声がしない数分間。
突然、赤ちゃんの大きな鳴き声が手術室内に響き渡った。蘇生がうまくいき、不要になった人工呼吸用の管はもう抜けている。ピンク色になった手足を突っ張って、自分で懸命に呼吸している。もう大丈夫だろう。小児科医はほっとした表情で赤ちゃんの背中をさすり続け、助産師は全身の羊水をふき取る。
 
脊髄くも膜下麻酔での帝王切開では、感動の「母児対面」のシーンがある。それは、産まれた赤ちゃんの安全が確認された直後に、手術室内で行われる。つまり、まだ母親のお腹を閉じている真っ最中である。
「ほら、お母さん、はじめましてー。おちんちん、ついてますねー。元気ですよ」
助産師が赤ちゃんを緑色の布に包み、母親の顔の横まで抱いて連れてきた。
ここで初めて母親は、さっきまでおなかの中にいたわが子の姿を見ることができるのだ。
「良かった…よろしくね」
 先ほどの不安な表情とは打って変わった笑顔。さっきとは別の涙でいっぱいである。
「お母さん、赤ちゃんに触っても大丈夫ですよ」
「じゃあ、一緒に記念写真撮りましょうね。はい、お母さん、笑って」
数分の対面の後、赤ちゃんは沐浴や体重測定などのために、一足先に病棟へ帰って行った。
 すでに子宮の穴は縫い合わされ、後はおなかを閉じるだけである。
 しばらくは満ち足りた顔をしていたお母さんは、疲れたのか軽く寝息を立て始めた。一仕事終えた妊婦は、手術終了を待たずに眠ってしまうことがよくある。だがここでは、児との対面という、いわば精神状態に対する覚醒刺激がなくなったことで、先ほどの鎮静薬の効果が前面に出てきて眠ってしまったと考えるのが正しいであろう。
 そして数分後、お腹の皮膚を縫っている最中、突然ばしっと開眼したお母さんは私にせっつくように言った。
「あの、赤ちゃんは生まれたんですか?」
「え…?、さっき会いましたよね」
「お・・・覚えてないです。赤ちゃんは、どこに行ったんですか」
(しまった)
さっき風魔先生が入れていった鎮静剤のせいだ。ある種の鎮静剤は「健忘作用」を持ち、薬剤が効いている間、一見意識が保たれて会話が可能でも、後になって聞いてみるとその間の記憶がないということがありうる。
もちろん、鎮静剤を投与した瞬間は、それも狙っていた。こどもが大変な状況になっている場面を、見せずには済んだ。だがそれに続く感動の瞬間も、彼女は全く覚えていなかった。風魔先生が鎮静剤を投与した瞬間には、まさか赤ちゃんがすぐに持ち直し、手術室で母児対面できるなど、ありえないことだと思っていたのである。きっと赤ちゃんは、このままNICUに直行すると思われたのである。
「脊髄くも膜下麻酔だったら、赤ちゃんにすぐ会えるって思ってたのに…」
「えーと、うー…ん、ご、ごめんなさい」
「生まれる瞬間が、一番大事なとこなのに。背中刺されて痛いところしか覚えていないなんて、ひどいです」
(やったのは、風魔先生です。それも良かれと思って…)
辛い状況に直面させないために、とっさにこちらのとった対応は、結果的に逆効果になってしまった。
母児対面の際に、助産師がとったスナップ写真が現像されるまで、私はお母さんに文句を言われ続けるのであった。
 後で風魔先生に報告すると、「そりゃー大変だったねー」と妙にうれしそうな顔をしていた。



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